1/13付の記事ですので 紹介する次第ですが、
内容としては、とりわけ目新しい報道ではありません。
中国における毒ガス兵器の遺棄問題は、ドキュメンタリー映画
『にがい涙の大地から』などでも紹介されています。
(私自身も 昨年末に大久野島へ行ってきたところです)
今の日中関係 どちらがどう悪いと お互いにしのごの言ってますが、
「自分がやった 悪いこと」は 責任もって謝るべきでしょう。
たとえ60年以上前のことでも 日本がやった犯罪は
今の国家権力者が 責任もって 謝り 対処すべきことです。
−☆☆☆−
毎日新聞 1月13日17時20分
毒ガス問題:第二次大戦中、製造に従事した藤本さん 加害事実、被害国で語る /広島
◇友好への一歩
◇「仕事に何の疑いも抱かず」「中国人への差別意識あった」
「属国の中国を倒すための兵器と思い、自分の仕事に何の疑いも抱いていなかった」。第二次大戦中、竹原市沖の大久野島で毒ガス製造に従事した藤本安馬さん(79)=三原市田野浦2=が、中国で、毒ガス工場の実態などを証言する活動を続けている。藤本さんは「被害を与えた国で、加害の事実を語るのは精神的にも厳しい。だが、それを避けては友好の一歩は踏み出せない」と話す。【遠藤孝康】
1941年、小学校高等科を卒業した藤本さんは、同島にあった陸軍兵器工場の技能養成所に入った。「給料をもらいながら勉強が出来る」と喜んだ。
入ってみると、毒ガス工場の専門家を育成する所だった。当時は典型的な軍国少年で、毒ガス製造をむしろ誇りに思っていたという。難解な化学方程式を学ぶ傍ら、くしゃみ性毒ガスの「赤一号」の製造工場で流れ作業に従事した。教官から「仕事の内容は絶対に漏らすな」と厳命された。
養成所卒業後は、ルイサイト(びらん性毒ガス)の工場に配属された。専門教育を受けた立場から、徴用工らを指導した。ヒ素で徐々に中枢神経を侵されていたが、それも知らずに、終戦まで必死で働いた。同島の毒ガスは九州で兵器に詰められ、中国で使われた。
島や学校での証言を始めたのは、約10年前。部落解放運動に参加する中で、「何の疑問も持たずに毒ガスを作った私の心には、中国人への差別があった」と考えた。毒ガス製造への関与を告白して、内なる差別意識を振り払おうと思った。
04年8月、旧日本軍が毒ガスで住民を虐殺した村を訪問し、生存者と会った。昨年12月は重慶や南京、上海を訪れ、旧日本軍の爆撃の被害者や現地の大学生と向き合った。大学生からは「靖国参拝を繰り返す小泉首相を支持する日本人には、加害の意識が欠落しているのではないか」と厳しい指摘を受けたという。
藤本さんによると、毒ガス製造所の工員は約6000人。毒ガスによる障害者と認定され、国から手当を受ける元工員も多いが、関与を証言する人は少ない。藤本さんは「私たちは国の命令で毒ガスを作らされ、障害を負った点で被害者とも言える。しかし、その立場に安住して加害責任を意識しなければ、永久に日中の国民はわかりあえない」と話した。
1月13日朝刊
2006年01月14日
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牛海英さん大久野島訪問(1)(旧日本軍の毒ガス製造工場があったところ)
Excerpt: 化学兵器CAREみらい基金でもサポートしている、チチハル遺棄化学兵器事故被害者 牛海英(ニウ・ハイイン)さんが、本日広島県竹原市の大久野島を訪問しました。牛さんは、戦中に大久野島で毒ガスの製造に携わり...
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