2006年03月17日

靖国参拝訴訟:「司法に不信と絶望」 原告団から憤りの声 /愛媛

毎日新聞 3月16日16時1分
靖国参拝訴訟:「司法に不信と絶望」 原告団から憤りの声 /愛媛

 「これで『憲法の番人』と言えるのか」。小泉純一郎首相の靖国神社参拝を巡り、原告敗訴となった15日の松山地裁判決。「法的利益の侵害はない」との一言で、戦没遺族らの訴えは事実上、門前払いされた。憲法判断を避け、参拝が公務かどうかの判断にもまったく言及しない裁判所の姿勢に、原告団から憤りの声が上がった。
 原告団は判決後、裁判所近くの寺院で会見。草薙順一・弁護団長は、判決文に「(小泉首相が)靖国神社に参拝したものにすぎない」と表現されていることを挙げ、「首相の靖国参拝は、国家と宗教をつなぐ象徴的な行為で、重い意味がある。こんなに軽く見てはいけない」と批判した。原告団長の僧侶、釈氏(きくち)政昭さん=高松市御坊町=は「司法に対する不信と絶望を感じる」と厳しい口調で語った。
 この後、別の場所で開かれた報告集会には、原告や支援者ら約20人が参加した。原告団の一人で、高松市東ハゼ町、農業、鈴木信義さん(82)は第二次大戦中、陸軍で爆雷の箱を背負って戦車に突入する特攻訓練を受けた経験がある。「たった一つの命を特攻という自殺行為でなくしてしまうような戦争を二度と起こしたくないとの一心で訴訟に参加した。こんな判決はくやしい」と無念そうに話した。
 支援者として参加した東温市北方、梅崎雪男さん(68)の父親はビルマ(当時)で戦死した。「父の魂が靖国神社に行くはずがない。靖国神社は戦争をするための道具だ。司法に怒りとさみしさを感じる」と憤った。【高瀬浩平、高橋恵子】
 ◇信教の自由への「間接的な圧迫」−−平野武・龍谷大学法学部教授(憲法学、宗教法)の話
 今回の判決は05年10月の高松高裁判決などと似ており、信教の自由を狭く解釈している。靖国参拝は信教の自由への「間接的な圧迫」などの行為に当たると考える。公的・私的の判断は必要で、判決はもっと踏み込むべきだ。一方、今回の判決では憲法判断をしていないので、小泉首相の靖国参拝が合憲という「お墨付き」にはならない。
 ◇憲法判断に触れる必要ない−−奥村文男・大阪国際大教授(憲法学)の話
 福岡地裁、大阪高裁判決以外は、憲法判断に踏み込んでおらず、予想通りの判決。原告の訴えを退けている以上、憲法判断に触れる必要はない。違憲判断をした大阪高裁判決は、外国からの参拝批判についても触れていたが、法的な判断は政治的な評価からは距離を置いて行うべきだ。そうしないと裁判が政治に利用される恐れがある。同種の訴訟では、ほとんどの判決が憲法判断しておらず、今後も、今回の判決と同じような流れが続いていくと思う。
 ◇過去の判例から見て当然−−百地章・日本大学法学部教授(憲法学)の話
 原告の主張が認められないのは過去の判例から見て当然。靖国参拝が思想・信条の自由を制限する不適法なものとの被告側の主張には、判決の通り理由がないと思われる。今後もこうした判決が続くと思われるので、同じような訴えと判決が繰り返されるのには疑問を感じる。
posted by yoppo at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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